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「わが子の信仰を守りたい!」全国初の父兄会活動に奮闘した鈴木二郎さん

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 一九七六年、統一教会に対するマスコミの非難からわが子を守ろうと、全国に先駆けて山形県全域の青年教会員の父母が立ち上がり、父兄会「ましみず会」を発足させました。その発足に携わり、長く会長を務めた鈴木二郎さんが二〇一二年七月三日に聖和しました(享年94)。二郎さんと共に「ましみず会」の活動を支えた妻・りきさん(86歳、山形教区山形教会)に、二郎さんの思い出を伺いました。 (文責・編集部)

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 妻・りきさんに聞く

suzuki わが家で最初にみ言を聞いたのは、当時、新潟の短大生だった次女の美智子(現・小林、六〇〇〇双)でした。「この子が選んだ道だから間違いないだろう」という思いはありましたが、娘が親に無断で教会の寮に引っ越したことにはショックを受けました。それまでは何でも相談してくれていたので、突然娘から捨てられたような気持ちになったのです。

 やがて美智子が、「原理」を聴いてほしいと言ってきました。私は気が進まなかったのですが、夫が「母親だったら、娘のために行くのが当然だ」と言うのです。それで、新潟で行われた二日修練会に参加しました。主に大学生の親を対象とした壮年婦人の修練会であったと記憶しています。一九七二年一月のことでした。

 私はその二日間を泣きながら過ごしました。神様が親だったということ、そして堕落した人間が神様から離れていった、その時の神様の悲しみが、娘に捨てられたように感じていた自分の心情と重なったのです。

 それからは、寂しい思いはありましたが、反対はしなくなりました。一方、夫は現職の警察官でしたから、宗教には一切関知しないという姿勢を貫いていました。

 次に長女の真紀子(現・森田、六〇〇〇双)が導かれました。真紀子はみ言を聴いて、「公的に生きているお父さんの姿を見てきたから、自分も人のために生きたいと思った」と言っていました。

 ところが今度は夫のほうが難色を示したのです。定年を控えていた夫は、長女に婿養子をもらって安心したいという思いがあったようです。

 夫は親族を集めて相談しました。親族は一様に夫に味方して、「お父さんは娘を頼りにここまできたんだから、お父さんの言うことを聞きなさい」と口々に言って、真紀子を説得したのです。頑として聞かない真紀子に対して声を荒げる人まで出てきました。すると夫は娘がかわいそうに思えてきたのです。「皆で真紀子をいじめているような気がして涙が出た」と後で言っていました。

 「憲法でも信仰の自由は保障されている。選ぶ権利は子供にある」と思った夫は、親族に向かって「このように集まってもらって本当に申し訳なかった。本人の信念は固いようだから、どうか許してやってほしい」と涙を流して頭を下げたのです。

 こうして真紀子も献身的に歩むようになりました。真紀子は「お父さんも『原理』を聴いてください」と頼んだのですが、夫は「いや、警察を辞めてから聞く」と答えました。その言葉が「神様との約束」になったのでしょう、夫は退職してから教会に行ったのです。

 夫が初めて礼拝に参加したときのことです。当時の礼拝堂は畳で、教会員たちが正座をして、メモを取りながら熱心に説教を聞いていました。夫はその姿に感動したのです。仕事柄、夫が日頃接していた若者といえば、泥棒や恐喝を働いた人たちでした。「世の中にはこんなに純粋な青年もいたのか。信仰とはなんと素晴らしいものなんだろう」と思ったそうです。

 礼拝から帰ってくるなり夫は、「今度からおまえも一緒に行こう」と私に言い、そこから私たちの信仰生活が出発したのです。私が二日修練会に出てから四年ほどたっていました。

 後から聞いたのですが、二人の娘は百日間の条件を立てて、私たち夫婦を復帰するために祈祷してくれていたそうです。

    ◆

mashimizu 一九七六年、山形県全域の青年教会員の父母が、父兄会「ましみず会」を発足させました。当時、山形には、献身的に歩む青年が百人を超えていました。その父母五、六十組が「ましみず会」の会員となり、そのうち三十組ほどが活発に活動を展開しました。

 当時はマスコミの誤った報道によって、統一教会への社会的な批判が高まっていた時期でした。そういう中で、自分の子供を信じて父母が立ち上がり、組織的に活動を始めたのは全国でも初めてであり、画期的なことでした。

 当時作った「ましみず会」の規約をご紹介します。

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一 、統一グループの活動の趣旨に賛同し、これを支援する。

二 、世界的視野に立って、人々との交流と理解を図る。

三 、会員相互の親睦を深め、互いに助け合う。

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 月に一度、会報「ましみず」を発行し、活動のようすなどを会員に伝えました。本部からは林信子役事(一九七八年聖和)、横井捷子 ・全国婦人部長(当時)などが頻繁に来て、原理教室や親子セミナーなどを開いて指導してくださったのは大きな力になりました。

 会報の一九八二年九月三十日号に、父兄会長として夫が以下のような挨拶を載せています。

 「私達の娘二人も、教会の仕事をさせていただいている訳ですが、娘達の成長を見つめながら又、世界・国家の平和を築こうとするその若き姿を見て学ばされ、また本当にこういう娘に成長していることを感謝しております。娘をはじめとして、教会の若いメンバーの信仰と生活を見ながら、私達夫婦も又、少しでもお役に立ちたいと思い今日までまいりました。日々の生活の中で、文( 鮮明)先生の『為に生きる』精神をモットーに頑張りたいと思っていますので、よろしくお願いします。これからまた皆様のお宅を訪問させていただきたく思っております」

 当時、海外宣教に行っていた大場良一さん(一八〇〇双)のご両親も会員でした。大場さんのお父さんは、「ましみず会」の活動のために、高齢になってから運転免許を取って、熱心に活動されました。

 夫も父母の家を一軒一軒訪問しました。反対していたある家庭から、「一度話を聞きたいから、来てほしい」という要請があり、教会長と一緒に出掛けたことがありました。そこには親戚が大勢集まっていて、最初は「よく来てくれた」という歓迎ムードだったのですが、酒が進むにつれて次第に教会長や夫を糾弾する場に変わっていったのです。最後は、教会長は暴力を受け、夫は履いてきた靴を外に放り投げられて、力ずくで追い出されました。

 そのほか、「警察官のくせに」と罵声を浴びせられたり、水や塩を撒かれたりすることはしょっちゅうでしたが、夫は決して屈することなく、黙々と活動を続けたのです。

 一九八二年に行われた六〇〇〇双の祝福式に山形から多くの青年が参加したときには、苦労が報われた思いがしました。父母たちもソウルの会場に幟のぼりを持って駆けつけ、祝賀しました。「ましみず会」からは私たち夫婦を含む四組が、既成祝福の恵みにあずかりました。

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 夫は人情家で、親から反対されている青年食口たちのことをいつも気に掛けていました。正月に実家に帰れない青年たちを家に呼んで、餅と手料理で一緒に正月を祝ったものです。いつも十人くらいは集まったと思います。しばらく顔を見せない青年がいると、「あの子、どうしてるべな」と心配していました。

 ある兄弟がそんな夫を見て、「神々しいクリスチャンのようなかただ」と褒めてくださったことがありました。夫自身も清廉潔白、正義の道を歩んできた人でしたが、家系を見ると、聖書を熱心に学ぶクリスチャンもいて、縁あってこの道に導かれたのだと思います。

 夫が聖和するまで続けていたのが、親子三代の訓読会でした。真紀子一家が還故郷してから始めたのですが、当初、小学校五年生だった孫が今は二十一歳の大学生になっています。

 毎日夕飯後、夫の「集合!」の号令で家族全員が集まります。最初に夫が訓読し、その後は皆で順番に訓読。最後に翌日の予定などを報告し合い、三、四十分ほどで終わります。

 全員が集まれないときもありますが、そういうときは「誰かが一日の締めくくりをしなければならない」と言って、夫が一人でろうそくを立てて訓読してくれました。晩年は目が弱くなり、拡大鏡を使っての訓読でしたが、自分が言い出したことは最後までやり遂げる人でした。現在は、真紀子の夫が引き継いで続けてくれています。

 家族での訓読会を始めてから、互いの意思疎通がスムーズにいくようになったことを感じます。離れていても霊的に通じるのです。それが訓読会の恩恵であると思います。

 夫は「玄関の履き物が乱れているのは、家庭が乱れている証拠だ」と言って、徹底的に子供や孫をしつけました。きれい好きで、家の周りの掃除を欠かしませんでした。賑やかなことが大好きで、人が訪ねてくるのがうれしい人でした。

 そんな夫でしたので、聖和式には親戚や隣組の人など大勢駆けつけてくれました。町内会長は弔辞を読んでくださいました。式は終始、和やかで、参列した皆さんに自然な形で聖酒を飲んでいただき、自叙伝『平和を愛する世界人として』を贈呈することができました。

 夫が聖和したのは七月三日ですが、そのわずか二か月後に真のお父様が霊界にいらっしゃったので、さぞかし驚いたことでしょう。でも今は喜々としてお父様にお仕えしていることと思います。これからも夫と共に氏族的メシヤ活動に邁進していきたいと思います。

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全国の父兄の手本に

全国婦人部長として鈴木さん夫妻と親交の深かった横井捷子先生(43双)

 安心できるご夫妻でした。誰に対しても、子供を持つ父母として、的確に対応してくださるお二人でした。人柄の良さから多くの父兄や教会の兄弟姉妹たちが、どれほど大きな力になっていただいたことでしょうか。

 定期的に父兄会を開き、会報を出し、全国の父兄会の手本となってくださいました。さまざまな質問にも、神様と真の父母様への絶対信仰を立てて回答されました。

 温かいその言葉の背後には、二千年のキリスト教史の中で、神様とイエス様に生涯をささげ、結婚もせず、家庭を持つこともせずに霊界に行かれたかたがたの前に、孫の顔を見ることのできる今がどんなにありがたいことかという、あふれんばかりの感謝と喜びがありました。

 ある父母が文句の一つも言いたくて、「誰がそんなことを言うのか?」と質問したとき、「神様だんべ」と答えたというのが、逸話として語り継がれています。

 


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Category: 特集