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インタビュー:「文総裁ご夫妻を天使が支えていました」ヘリコプター不時着事故の証言

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金監督インタビュー

二〇〇八年七月十九日、真の父母様と三人のお孫様を乗せたヘリコプターが清平の山中に不時着する事故が起き、数人の負傷者が出たものの、全員命に別状はなく、奇跡的に助かりました。当時、社団法人韓国映画プロデューサー協会理事長だった金英轣掾iキ繚コヨンホ)監督は、その日、清平で映画スタッフと共に釣りをしていて、落ちていくヘリコプターを天使たちが支えているのを見て驚き、自ら統一教会の門をたたきました。

 以下は、今年一月二十二日、韓国・天福宮近くで金英轣搖ト督に鴨野守広報局長と荻野訓広・本誌編集長がインタビューした内容を整理したものです。   (文責・編集部)

 

 金英轣搖ト督は、もともと信仰をお持ちでしたか?

金英轣搖ト督(以下、金) 私は二十年間、クリスチャンでした。キリスト教会においては、文化部長として活動しました。その頃は、統一教会の反対運動もしていたのです。

      

 ヘリコプター事故の時の体験についてお聞かせください。

  私はその時、ヘリコプターを見て驚き、虹を見て驚き、その下から出てくる翼をつけた天使のような人々を見て、驚いて立ち上がることができませんでした。

 その翌朝、新聞を見ると、文鮮明総裁をはじめとする十六人の奇跡的な内容がニュースに出ていました。テレビを見ると、ニュースのたびに全放送局で流れているのです。インターネットを見ても、どのニュースにも大きく出てくるのです。それは、私が見たその場所でした。

 その日の夕方、富川(プチョン)国際映画祭「ファンタジー」に行きました。そのとき私は社団法人韓国映画プロデューサー協会の理事長でした。それで招請を受けて行き、来賓として前に座っていました。

 富川映画祭が終わって食事の時間になりました。大きなテーブルが十二個並んだ大きな会場でした。

 その席で私はすっと立ち上がって、我知らず「君たち、文総裁にきのう事故が起こったのを知ってるだろう? 君たちは文総裁がどのようにして助かったのか知ってるか?」と、とても大きな声を張り上げました。恥ずかしいのも知らずに、ただすっくと立ち上がって話したのです。

 そして私が、「神様が手助けし、天使が手助けし、虹が手助けし……」と言うと、人々はびっくりしていました。驚くとともに、「座れ」と怒鳴る人もいて、大騒ぎでした。

 私はその時、公人でした。私は韓国文化部(文化体育観光部)傘下の人ではないですか。それなのに、すっくと立ち上がって、そのようなことを言うので、大騒ぎになったのです。

 しかし、食事が終わってから、ソウルに行く観光バスの中で、私はマイクをつかんで、また大声を出したのです。「文鮮明総裁の一行十六人が助かった理由が分かるか? 天使が手助けし、神様が手助けして……」と大声で、「君たちは知らなければならない」と言ったのです。ですから、また大騒ぎになり、「狂った」と言われました。

ツ黴€

 ヘリコプター事故はどこで目撃したのですか?

 私はお父様のヘリコプター事故の時、清平に釣りをしに行っていました。私が年に何度か行く自然の釣り堀があります。

 堤防を造って、バンガローをしっかり造ってある所です。私たちは映画作品のセミナーをそこでやります。

 その日は五人で釣りに行きました。午前中に雨が降ったので、私は行くのをやめようと思っていたのですが、皆が行こうというので、行ったのです。

 車で釣りに向かう途中で、後輩から電話が来て、「先輩、そこに行って何をしますか?川の対岸の我が家に来て、釣りもし、焼酎で一杯やりながらシナリオ分析でもしましょう」と誘うのです。それで、ボートに乗って川を渡りました。

 対岸に着き、釣り竿を近くに仕掛けておいて、焼酎を飲みながら「アクション映画だから、主演の俳優を誰にしようか?誰が合うか、合わないか?」などと言いながら相談していました。

 そして私が釣り竿の方に行ったときです。ヘリコプターの音がするのです。

 そちらを見てみると、天使と、児童たちがクレヨンの色を塗ったような虹が現れたのです。驚きました。虹の色が鮮明で、ハスの花のような雲が……。仏教の絵で見る、ハスの花のようなものがあるではないですか? お釈迦さまを載せている花です。そのような雲がヘリコプターをしっかり支えているのです。天使のような人々が翼を広げて、ついて行きます。私が見た限りでは、天使の数は五十から六十にはなりました。

 このことを富川映画祭で話したのです。

 自分でも、人々がたくさんいる映画祭でなぜ立ち上がって、狂ったように叫んだのか分かりません。なぜ私が文鮮明総裁をピーアールする必要がありますか? おかしなことです。

 しかし後になって、統一教会に入教して、祈り、勉強をする中で、その意味が分かりました。

ツ黴€

 それから、どのような経緯で統一教会に行くようになったのですか?

 私は統一教会に行くつもりはありませんでした。なのに、どうして行くようになったのでしょうか? 

 バスの中で私が大声を張り上げたとき、そこに統一教会を知っている人がいました。それで、金英轣搖ト督がそのような話をしていると、統一教会本部に電話をしたのです。

 そして、梁昌植(ヤンチャンシ繚ー)会長から会いましょうと電話が来たのです。私は会わないと言いました。私は公人なのに、大変なことになると話して拒否しました。三か月、会いませんでした。

 すると、おかしなことが起こりました。映画界の人たちは、お酒が好きです。私も好きで、あるときお酒にすごく酔って寝たのです。翌日は日曜日で、朝早くに目が覚めました。すると私は我知らず、服を着て統一教会を探していたのです。本当に、おかしなことです。一一四(日本で言う一〇四=電話番号案内)で尋ねると、統一教会が出てきません。その時は、「世界平和統一家庭連合」でした。

 それで、私は麻浦(マッポ)の都元(トウォン)ビルに行きました。ところが、その時は日曜日なので、シャッターが下りていました。「おかしいな、ここは教会なのに……」と思いながら、次にタクシーで中区の筆洞(ピ繚ストン)に向かいました。筆洞は私が二十四年間生活した場所です。そこに行くと、教会がありました。それで入っていって、お祈りし、礼拝をささげました。その時の牧師は南(ナ繚コ)牧師でしたが、私は三週間、ずっと話もせずに参加していたのです。

 芸能界の人々は日曜日が特に忙しいのです。ところが、おかしなことに、日曜日にスケジュールが入ってこないのです。それで、礼拝に三度も参加するようになったのです。

 三度目に参加した時は、牧師から何かを記入しなさいと言われ、そして前に出て挨拶するよう勧められたのです。

 マイクを握ると、そこで、そのまま口から真の父母様のヘリコプター事故の証しが出てきたのです。すると、大騷ぎになりました。すぐに本部に連絡が行ったのです。

 ところで、奇妙なことがありました。二週間はただ静かに教会に行って礼拝に参加しただけでしたが、その日は初めて感謝献金をしたのです。感謝献金をしたその日に、挨拶をしなさいと言われ、話をすることになったのです。

 こうして私は、梁昌植会長に会うことにしました。鍾路(チョンノ)の團成社(タンソンサ)劇場の前で会って、食事をしました。食事の後、梁昌植会長が「行こう」と言うのです。どこに行くのかというと、團成社の後ろに教会があったのです。突然、そこで私に証しをしなさいと言うのです。

 そこには五百人ほどの人が詰めかけていて、壇上に上がることができないほどでした。私はその群衆を見て、驚き、がたがた震えました。

 梁会長は「壇上に上がれば、震えません」と言いました。それで上がって、挨拶すると、ぱっと口から言葉が出てくるのです。どんどん出てきます。導かれました。

 聞いていた食口たちはすごく泣くのです。私も狂ったように、一緒に泣きながら話をしました。


 金監督はヘリコプターの墜落現場で精誠を尽くされたとお聞きしましたが、その話をお聞かせください。

 最初は、天福宮ができる前に家庭連合本部の地下で祈祷をささげました。そこに行くと、お父様が祈祷された場所がありましたね。そこで牧師と一緒に祈祷をささげました。

 そこで、泣きながら、「なぜ私をつかまえて放してくださらないのですか。私が走り回り、自由にできるように放っておいてください」と祈りました。天のお父様に向かって大声を出したのです。「なぜ私を煩わせるのですか」と激しく泣きながら、大声を張り上げました。

 それから、ヘリコプターの事故現場に初めて祈りに行きました。そこは許可を取らなくては入ることができません。

 私はそこにテントを張って、『天聖經』を持って二十一日間滞在しようとしました。けれども本部では、そのようにするのではなく、天宙清平修錬苑から通いなさいというのです。

 私は現場に行って祈っていたのですが、十日間たつとガリガリに痩せてしまいました。清平修錬苑の局長が、このまま続けて倒れれば大変なことになると心配しました。でも私は、暑い夏に、清平修錬苑から歩いて通いました。一時間二十分程度かかりますが、お父様の路程を勉強してからは、何でもありません。

 そこで祈祷するとき、『天聖經』と『原理講論』を広げておいて祈ります。ある日、祈祷し、目をぱっと開けると、蝶々がお父様の自叙伝に留まっているのです。ひざまずいて追い払っても飛んでいきません。それで写真でも撮ろうと思って、携帯電話を持っていって近づいても、飛んでいかないのです。写真を撮っても、飛んでいきません。手をこのように突き出すと、私の手に上がってきました。それで、それも撮りました。

 そこで精誠を尽くしていると、事故現場を見に来た食口たちに、少しだけ話してくださいと頼まれます。それで、五分だけ話すのです。そうすると、食口たちと一緒に手を取り合って泣くのです。私も涙が出てきます。

 ヘリコプターがひっくり返っているのに、扉がどうして開くのかというのです。ありえないではありませんか。

 私も子供を育てましたが、バスに乗って移動するときでも、小さな子供は揺れれば、よく倒れるではないですか。ヘリコプターが落ちたのに、お孫様に一つも怪我がなかったというのは、科学的には説明できないというのです。

 本当に、信宮(シングン)様、信越(シヌォ繚ス)様、信俊(シンジュン)様、この小さなお子様たちに傷一つなかったというのは、ありえないことです。

 ヘリコプターが横になっていて、機長が扉を開けようと押すと、誰かが開けてくれたかのように、そのまま開いたというのです。それが開かなかったら、皆死んでしまうのです。

 それで私が「子供たちはどうしていたのですか?」と尋ねました。子供たちは椅子の下にいたというのです。そして、お母さんを捜したそうです。それを考えると、鳥肌が立ちます。

 燃料がどれほどたくさん入っていましたか?お父様が出てこられた後に、すぐに爆発したではありませんか。

 この事故に関しては一年の間、保険会社は触れないようにしました。後で、現場からプロペラを抜こうとしましたが、深く刺さっていたので簡単には抜けず、クレーンでやっと抜いたのです。

 十年前に漢江(ハンガン)で、ヘリコプターを使って撮影していて、俳優と撮影監督の四人が死にました。結婚する場面ですが、ヘリコプターに乗って新郎が下りるのです。カメラマンが「もう少し下に、もう少し下に……」と言うので下りていったのですが、プロペラが回るので、水が巻き上がってきたのです。それが分からなかったのです。それで、ヘリコプターがすっと墜落し、全員死にました。

 下が水でも死ぬのに、(文総裁の事故では)十四トンもの機体が地面に突っ込んで……。これは、科学的には解釈できません。

 宗教の歴史にこのようなことはないのです。これを早く知らせなくてはなりません。メシヤだからだということを、見せてあげなくてはなりません。それを全世界に見せてあげなくてはなりません。話では駄目です。真実性がなければならず、精誠がなければなりません。

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 その後、キリスト教会からの迫害はありましたか?

 私は映画界の人々を、たくさん教育しました。清平修錬苑にも行き、教育をたくさん受けさせました。すると周囲が、「金英轣揩ェ狂って、統一教会の教育をさせる。大変なことになった」と言うのです。それで、映画界からはものすごい迫害を受けました。インターネットでたたくのです。

 ある日、家に帰ると、包丁が門に刺さっていました。びっくりしました。家に入って妻に話したところ、妻は仰天しながら「早く捨ててください」と言うのです。それで捨てようとしてその刃物を見ると、刃物の柄に小さく「×統一教」と書かれているのです。私はそれを教会に持って行きました。牧師がそれを見てびっくりしていました。

 私は韓国映画プロデューサー協会理事長として三年間の任期がありました。ところが、私に理事長をさせないように、横領の容疑で提訴しました。協会のお金を横領したというのです。

 それで二か月の間、警察署に行ったり来たりしました。妻の通帳、私の通帳を見せました。それでも、何も証拠は出てきませんでした。横領として追及され、六か月から七か月かかって、検察まで行きましたが、それは取り下げられ、なくなりました。

 私はそのために、映画界で多くのものを失いました。私を告発しておいて、その問題で警察署に釘付けになっている間に、自分たちが別の理事長を選出したのです。経済的な打撃も大きかったです。

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 真のお父様にお会いしたときのお話をお聞かせください。

 訓読会で初めて真のお父様を拝見しました。お父様は私の名前をご存じでした。

 私は敬拝をささげました。お父様は私を穴が開くほどごらんになったかと思うと、「先祖を大切にしている」と言われるのです。そして、「おまえは孤独なやつだ。独りで育ったんだよね!独りで生きてきたんだよね!」とおっしゃるのです。そして、「先祖を大切にするので、子供たちもうまくいくだろう」と言ってくださいました。

 びっくりしました。そのみ言を聞くと、私の目から涙が止めどなく流れ落ちました。やはり真の父母様であられます。全てをご存じでした。私は生まれて間もなく、朝鮮戦争で両親を失ったのです。

 私が統一教会に行くようになって三年になりますが、お父様がどのようなおかたなのか、まだ分かりません。ですから、お父様のみ旨を相続しようと勉強するのです。相続するために、熱心にするつもりです。

 真のお父様が先日、私をお捜しになったそうです。訓読会をしながら「金英轣搖ト督はよくやっているか」と大声を出されたそうです。それでどなたかが「熱心にやっています」とお答えすると、「分かった」とおっしゃったということでした。それを聞いた人から、私に電話がたくさん来るのです。

 一部のかたから、文孝進(ムンヒョウジン)様が映像を通して父母様を証そうという強い意欲を持っていらっしゃったと聞いています。孝進様がおできになれなかったことをさせるために、私が来たというのです。孝進様は二〇〇八年三月(三月十七日)に聖和されたではないですか。ヘリコプターの事故が起こったのがその年の七月十九日です。

 私はいつも孝進様の写真を持っています。私は孝進様の音楽を聞いてみました。天才です、天才。

 私は映画を作るときは、孝進様の音楽を入れようと思っています。映画の決定的な場面に入れるのです。本当に素晴らしい歌が多いです。二回だけ入れるのです。ラストのようなところと、決定的な場面に入れるのです。歌詞も素晴らしいです。

 天の国の歌詞がものすごくたくさんありますね。本当に天才です。これを私たち食口は忘れてはいけません。世の中に知らせなくてはなりません。霊界が何なのか分からない人がとても多いでしょう。今も真のお父様が誰なのかも知らない人がたくさんいます。

 神様は「真の父母様を証す作品を作りなさい」と言って、私にあの場面を見せてくださったのです。そうでなければ、あの時、いつもの場所で釣りをしていたはずです。何のためにわざわざ川を渡ったかというのです。

 真のお父様はこの証しを、「人がたくさんいる所でしなさい」とおっしゃいました。大きな所で力強く話しなさいと激励してくださったのです。

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 どうもありがとうございました。


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Category: 特集