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証し:山形が故郷になりました

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 崔然敬さん(45歳)は韓国から日本に嫁いで二十一年、ご主人の聖和という試練を越えて、地域に神様を証ししながら歩んでいます。二〇〇九年に地域の国際家庭と協力してNPO法人を設立、昨年は地域社会への貢献が評価されて、県から表彰されました。人類一家族理想の実現を目指して奮闘する崔然敬さんを紹介します。 (文責・編集部)

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夫の聖和を越えて夫の故郷を愛する決意

 一九八八年に六五〇〇双の祝福を受け、夫( 清野英司さん)の故郷である山形県寒河江市に嫁いで二十一年になります。家庭を出発して三年後の一九九五年に夫が病気で聖和しました。以来十七年、夫の故郷を愛して、姑と娘の女性三代で暮らしています。

 日本に来た当初、苦労したのは何と言っても言葉でした。そんな私にボランティア団体のかたが親切に日本語や日本の文化を教えてくださいました。本当にありがたいことでした。

 そのご恩に報いるにはどうしたらよいかと考え、私もボランティア活動に携わりたいと思うようになったのです。

 夫が聖和して間もなく、女性宣教師・ボランティアが海外に派遣されることになりました。韓国・済州島の修練会に参加し、行きたいという思いがつのりました。しかし当時、夫の両親は教会に反対していましたし、娘はまだ一歳でしたから、長期にわたって家を空けるのは難しい状況でした。

 それでも行きたいと私が思ったとき、額にサーッと一筋の光が当たって、鼻歌を歌って喜んでいる夫の姿が見えたのです。それからは、一日千拝敬礼の条件を立てながら両親に尽くしました。そしてついに許しを得ることができたのです。姑は「園恵のことは心配しなくていいから」と言ってくれ、舅は「向こうでお金も要るだろう」と、小遣いまでくれて送り出してくれました。

 三回にわたり合わせて十か月ほどアメリカに滞在して奉仕活動をする中で、多くのことを学びました。アメリカではさまざまな人種のかたがいますが、誰もが一様に幸福な家庭を願っていました。これを通して家庭の重要性を知り、また神様のもとに全ての人が兄弟姉妹であることを実感しました。

 そのような体験が土台となり、山形に戻ってから、地域の国際結婚をした家庭に呼びかけて、言葉を教え合ったり文化交流をしたりするようになりました。それが私のボランティア活動の始まりです。

 「家和して万事成る」と言いますが、家庭が平和であれば全てうまくいくという理念のもと、地域社会の役に立ちたいという思いで活動を続けました。主な活動は、福祉施設訪問、外国語講座、国際文化交流、婚活講座などです。

 メンバーは定住外国人女性が中心なので、当初は難しいことがたくさんありました。語学教室のために公共の施設を借りるとき、「外国人だから信用できない」という対応を受けたこともありました。それでも真心は必ず通じると信じて続けているうちに、次第に理解していただけるようになりました。

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ボランティア活動で県や市から6つの賞を頂く

hurusato 丸十三年になる活動の中で、二〇〇六年に市から感謝状を頂いたのを皮切りに六つの賞を頂きました。

 十年目になる二〇〇九年十一月には、「特定非営利活動法人(NPO法人)国際平和まつり―YAMAGATA」を設立することができました。私が代表を務めています。

 翌年、NPO法人設立記念行事を行いました。地域の諸団体の長など、多くのかたがお祝いに駆けつけてくださいました。このとき、あるNPO法人の理事長から推薦され、国際ソロプチミスト(管理職、専門職に就いている女性による国際ボランティア組織)からボランティア賞と感謝状を頂きました。地域のかたがたからは「小さな親切賞」も頂きました。

 二〇一一年八月二十八日には市の福祉協議会から感謝状を頂きました。地域のかたがた三百人が集まった中、チマチョゴリを着て式典に臨みました。

 そして二〇一二年十月二十一日、定住外国人女性による語学教室の開催など、外国人が地域社会に貢献していることが評価され、チャレンジ知事賞を受賞。表彰式では受賞者による活動内容発表会が行われ、私も発表の中で「世界は一つの大家族」を目指すことを訴えました。

 老人福祉施設を訪問するときは外国の歌や踊りを披露して喜ばれています。あるとき入所者のかたから、「あなたはこの辺の人じゃないね。言葉遣いが違う」と言われました。山形では「食べなさい」を「あがっしゃい」とか「け」と言うのですが、私が丁寧に「お召し上がりください」と言ったので、そう思われたようです。私が「海を越えて来ました」と答えると、「北海道?」「沖縄?」などと聞かれ、話が弾みました。

 また月一回、小学校で「読み語り」をしています。韓国の童話の本を最初は日本語で、次に韓国語で読みます。子供たちは興味津々で、「世界のニュースを見ているようだ」と言う子もいました。

 十年ほど前から毎年、市のボランティア団体が集まってフェスティバルをしていますので、顔なじみもたくさんできました。そこにはいろいろな国の人がいます。宗教もキリスト教や仏教などさまざまですし、同じキリスト教でもカトリックの人もいれば、プロテスタントの人もいます。言葉も日本語、韓国語、中国語、タガログ語、英語が飛び交います。最初は混乱しましたが、今は慣れて、そのいろいろな国の言葉が美しい歌声のように聞こえてくるのです。「これが天国なんだ」としみじみ思います。

 昨年は、一月に行われた市国際交流会のニューイヤーパーティーで司会を務めさせていただきました。初めてのことで、とても緊張しました。途中まで順調だったのですが、最後の挨拶で失敗してしまいました。「お帰りの際にはお忘れ物のないように、お気をつけてお帰りください」と、「お」がたくさんあるので口が回らず、その場が大笑いになりました。外国人だからでしょう、愛嬌を感じてくださり、和やかな雰囲気で終わることができました。

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姑は私の実の母、地域のかたは私の家族

 私は全羅北道茂朱の出身です。兄も私と同じ六五〇〇双で韓日祝福を受け、妹も三万双で祝福を受けました。韓日の関係が良くなるために少しでも役に立ちたいという思いで来日しました。

 夫が聖和したとき、「神様はなぜ私に試練をお与えになるのですか?」と毎日尋ねながら祈りました。あるとき祈りの中で真のお父様が現れてくださいました。それは、世界で一番悲しいお姿と、世界で一番優しい父親のお姿でした。そのとき私は「全てを感謝しないといけない」と思いました。それからは、祈りも感謝の祈りに変わり、毎日、感謝の言葉を何万回も唱えながら、努力しました。

 その中で、神様とたくさん会話をしました。神様は私にとって、優しいお父さんでした。運転するときも、仕事をするときも、「きょうは神様、とても大変な一日でした」と、子供が親に話すように全てを打ち明けると、心がすっきりします。おいしい食物があれば「神様、一緒に食べましょう」、きれいな景色を見れば「素晴らしい景色をありがとうございます」と、本当に心から神様と共に喜べるようになりました。今では時折、「神様、私はこんなに幸福になってもいいのですか?」と尋ねることもあるほどです。

 十三年前に舅が他界し、清平で解怨・祝福をしました。絶対善霊となった舅を日本に連れて帰ったとき、私は舅の存在をはっきりと感じました。舅は「女性三人だから、しっかりしなさい」と励ましてくれました。そして「お母さんに祝福を受けさせてほしい」と切実に頼んできたのです。姑にその話を伝えて、その後、両親は清平で霊肉界祝福を受けることができました。

 二十一年の歳月の中で、姑とは実の母娘のような関係になりました。毎年、秋になると、わが家のベランダにはたくさんの干し柿が吊されますが、この干し柿作りは姑と私の共同作業です。昨年のクリスマスイブには姑と二人で出掛け、買い物と食事をして、温泉に入って帰ってきました。

 地域のかたがたとも家族のような交流をしています。

 ある日、りんご畑を通りながら、たわわに実ったりんごを見て「おいしそうだな」と思っていたら、家に着くと、玄関に宝石のような真っ赤なりんごが置いてありました。後で、以前に韓国語を教えたことのある婦人から、「食べてください」とメールが届きました。

 そのほかにも、四季折々に野菜やきのこ、山菜など、いろいろな物が届き、地域の皆さんの温かい情を感じます。

 住めば都──。日本は、山形は、いつの間にか私の故郷になりました。私を、地域に関心を持って日本を愛するようにしてくださった神様と真の父母様に心から感謝申し上げます。


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Category: 特集