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美しい光の中にいらっしゃったお父様
ツ黴 國長佳代子さん(56歳)は今年二月、一度霊界に行き、大母様によって地上に帰していただくという臨死体験をしました。日頃から、聖和(昇華)したお母さんからのメッセージを受けるなど、霊界と密接につながりながら歩む國長さんの証しを紹介します。(文責・編集部)
ツ黴
香川教区高松教会 國長佳代子(三万家庭既成)
私は一九九二年に三万双の既成祝福を受けました。両親と弟を伝道し、それぞれ四千万双(既成)と六五〇〇双の祝福を受けています。一人娘の文恵も二〇一〇年の「天地人真の父母定着完了10・14祝福式」に参加し、今は神奈川県で家庭を持っています。
ツ黴 母は八年前に父を残して七十二歳で聖和したのですが、その後、霊界から時折メッセージを送ってくるようになりました。母は「真のお父様のお手伝いをしている」と言っていました。
ツ黴 母からのメッセージは、昨年の春頃から特に頻繁に来るようになりました。メッセージは私が受けて、それを私が声に出して繰り返すというパターンが多いのですが、時には父や弟を通して来ることもあります。
ツ黴 メッセージが来ると、額の辺りが痛くなるのですぐに分かります。私が「どなたですか?」と尋ねると、母は「山地トミコです」とはっきり名乗ってから話し始めます。
ツ黴 メッセージの内容はとても具体的です。
ツ黴 例えば、「二一〇代の先祖解怨を早くするように」というのは口癖ですが、中でも「山地家の母方の背景が非常に重いので、まずそちらの先祖を先に解怨して整理しなさい」などとアドバイスしてくれます。
ツ黴 真の父母様が進めていらっしゃる摂理についても、「今、お父様はこういうことをなさっているから、意識して祈っていくように」と教えてくれます。
ツ黴 また「あなたは今、こんなことで悩んでいるが、それはこうこう、こうしたらいいよ」と教えてくれることもあります。時にはその悩みを思い当たらないこともあるのですが、しばらくすると必ずその悩みに直面するのです。母はあらかじめそのことを知っていて、私に伝えてくれているようです。
ツ黴 昨年四月のこと、母から父にメッセージが来ました。それは、「信文さん(夫の名前)に世話になったから、國長家が善霊堂を授かるよう助けてやってほしい」というものでした。
ツ黴 母は生前、夫を非常に信頼していました。マスコミ報道などで教会に対して不安を感じたときなど、夫が親身になって誤解を解いてくれました。母はそのことを非常に感謝していたのです。
ツ黴 また母にしてみれば、既に息子(私の弟)が信仰を立てて、先に善霊堂を授かっていましたので、娘(私)の家庭にも授かってほしいと願ったのだと思います。
ツ黴 そういう経緯で私たちの家庭は昨年、善霊堂をお迎えすることができました。
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ツ黴 弟の家族は歩いて十分ほどの所に住んでおり、いつも私のことを気にかけてくれています。その弟に今年の初め頃だったでしょうか、母からメッセージが来て、「お姉ちゃんは疲れているから、少し休ませるように」と言ってきたのです。
ツ黴 そんな矢先の二月のある夜のことでした。仕事でくたくたに疲れていた私は、心情的にも非常に厳しい状態に陥っていました。そして「もうこの世にいても仕方がない」という思いが湧いてきたのです。するとしきりに霊界にいる母のことが思われ、「あ、そうだ、お母さんの所に行こう」という思いになったのです。
ツ黴 その瞬間でした。私は幽体離脱をしていたのです。自分の体と、そばにいる夫の姿が見えました。
ツ黴 私はすぐに霊界の母の元に飛んで行きました。母は真っ白い服を着ていました。
ツ黴 そこには善霊堂があり、その大きさにびっくりしました。白い大理石でできた善霊堂は、体育館のように広く、軒も高くて見上げるほどでした。二一〇代のご先祖様が入るので、そのように大きいのでしょう。そこにわが家のご先祖様がたくさん集まっていたので、挨拶をしました。
ツ黴 そして私は母と一緒に出発しました。霊界は素晴らしくきれいな所でした。この世では見たこともないような美しい光が見え、真のお父様が立っていらっしゃいました。そこは天正宮博物館の真上でした。
ツ黴 するとそこに紫の服をお召しになった大母様がおいでになり、「あなたはここに望んで来たのですか?」とお尋ねになりました。私が「はい、来たくて来ました」とお答えすると、「それはいけません。地上でもっと果たすことがあるので、それを全うしてからおいでなさい」と優しく諭してくださったのです。私は「はい」とお答えして地上に戻りました。
ツ黴 目が覚めると、布団の横で夫が泣いていました。夫は私が幽体離脱をしていることが分かっていたのです。涙を拭いたティッシュの山を見て、ずっと泣きながら私の霊人体が戻ってくるように祈ってくれていたことを知りました。
ツ黴 夫は、「佳代子さん、こんなに愛しているのに、なぜぼくを置いて霊界に行くんだ」と涙で言ってくれました。そして「あなたや文恵がいないと、ぼくは生きている意味がないじゃないか」とも言ってくれました。夫の深い愛を実感した瞬間でした。
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ツ黴 霊界の母が折に触れて言う言葉があります。それは「生きているうちによく祝福を受けさせてくれた。ありがとう」です。
ツ黴 というのも、母の話では、たとえ霊界で解怨され、祝福を受けたとしても、地上でみ言を聞いて祝福を受けた人と比べた場合、その霊人体の成長は比べものにならないくらい遅いのだそうです。特に、生前教会に反対していた人は辛い立場にいるそうです。
ツ黴 夫の両親は、み言を受け入れないままに霊界に行きました。ですから霊界では長い間、互いに会えなかったそうです。「解怨され、祝福を受けてからようやく会えた」と母から聞きました。
ツ黴 こういう話を聞くたびに、私たちは自信を持ってみ言を伝えなければならないと思わされます。
ツ黴 私たち夫婦は地元のコミュニティーセンターで絵手紙教室の講師をしているのですが、生徒さんからはよく、「先生たちのような夫婦になりたい」と言われます。私たちの姿を通して神様を証ししていける祝福家庭になりたいと思っています。
どれだけ多くの人に祝福の貴さを伝えて、地上で功労を積んでもらうか──。これが私たちの使命であると思います。
大母様に助けていただいた妻
夫・信文さん(60歳)
ここ高松には、屋島に真のお父様が決めてくださった聖地があります。昨年七月、鄭仁永(チョン・イニョン)香川教区長がラスベガスに行かれたとき、お父様が「どこから来たのか」とお尋ねになりました。「高松です」とお答えしたところ、「あそこには屋島があるね」とおっしゃり、さらに「屋島には霊的な鎖がたくさんあって、聖地を決定するのが大変だった」ともおっしゃったそうです。
そのときに高松は、お父様から「天惠仰慕する髙松の鶴 勇飛天髙統一勇士に似る」という揮毫(きごう)を頂いています。一九六五年にご来日の折のことです。
ツ黴 この地で氏族的メシヤを勝利するためには、この屋島の聖地を守っていかなければならないと常々思っています。
ツ黴 そういう歴史的な背景の影響かどうかは分かりませんが、妻はときどき非常に寂しい気持ちになって、そこから抜け出せなくなってしまうことがあります。幽体離脱したのも初めてではありません。しかしそれまではいつも戻ってきていました。ところが二月のときは、何度呼びかけても目を覚まさないので、もう駄目かと思いました。
ツ黴 私は妻のお母さんに助けを求めました。普段、私がお母さんからのメッセージを受けることはないのですが、その時は私があまりにも必死だったせいか、お母さんから直接、「本人の決意が固いので、私はついて行くしかない」という答えが返ってきました。後はもう祈るしかありませんでした。娘や妻の弟にも連絡して祈ってもらいました。
ツ黴 霊界に行っているときの妻は、眠っているようにも見えますが、呼びかけても顔を触っても揺すぶっても無反応です。「今、死んだばかり」というふうにも思えます。今回、妻が霊界に行っていたのは、地上の時間では一時間ほどだったと思います。
ツ黴 今回は大母様が妻を諭して地上に帰してくださいました。感謝の言葉もありません。
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Category: 特集