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証し:創立53周年記念「伝道部門」功労賞受賞「10年、20年、30年かけても必ず伝道する!」

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日本統一教会は二〇一二年十月二日、創立五十三周年を迎え、それを記念して各部門の表彰が行われました。「伝道部門」功労賞を受賞した十一人の中から、今回は沖縄教区の砂川洋子さん(64歳)の証しを紹介します。 (文責・編集部)

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「救われた喜び」が伝道の原動力

 私は一九八六年一月、高校の同級生に導かれました。

 当時、私は二つの大きな問題を抱えていました。一つは仕事で多額の借金を背負ったこと、もう一つは当時中学二年生だった長男が急にやる気をなくし、高校受験も危ぶまれるほどに成績が下がってしまったことでした。借金も深刻でしたが、それは自分が働けば何とかなります。でも息子の"心の問題"だけは、自分がどんなに頑張ってもどうにもなりませんでした。

 私の夫は、砂川家の長男である兄を三十三歳で交通事故で亡くしています。そのこともあり私は、砂川家は長男が立たない家系であるとずっと感じていました。息子の代でもそれを繰り返してはならない、何とか断ち切らなければと思っていた矢先の息子の突然の"心の問題"に、私はとても悩んだのです。

 そういう中、み言を聴いて、神様の存在を知り、メシヤが既に地上に来ていらっしゃることを知りました。そして、目の前にある結果には全て原因があることが分かったのです。

 神様を知らずに結婚した家庭に問題が起こるのは当然です。その影響を一身に受けさせてしまった息子に対し、申し訳ない思いでいっぱいになりました。そして、この教えにすがるしかないと思いました。そうしたら、どん底の中に希望の光が差してきたのです。  

 藁わらにもすがる思いでみ旨に投入していくうちに、息子は徐々に本来の姿を取り戻していきました。勉強に取り組む意欲も湧いてきて、わずか一年で高校受験が可能となりました。

 受験当日、息子は「メシヤに守られて行く」と言って、真の父母様のお写真を持っていきました。そして無事に那覇高校に合格したのです。当時のことを考えると、それは奇跡でした。み言の力によって救っていただいたのです。

 この救われた実感があまりにも大きかったので、私は幼い信仰ながらこう祈りました。「どのようにして神様にお返ししたらよいでしょうか?」。すると声ならぬ声が聞こえてきたのです、「その喜びを伝えなさい」と。このときの神様の言葉が私の伝道の原点であり、原動力となっています。

 当時はマスコミの誤った報道が巷ちまたにあふれていましたが、私は全く気になりませんでした。親族はもちろん、仕事で出会った人、友人・知人、誰にでも声を掛けました。

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夫と祝福を受けるまで6年間のコーヒー断ち

kourou ある日、統一教会に関する新聞報道を見て夫が、「これは君の行っているところでしょう」と言ってきました。私はすかさず、「そんな恐ろしいところに妻が行っているのに、確かめなくていいの?」と言って教会に誘いました。夫は「ぼくは新聞は信用しないから」と言うだけで反対こそしなかったものの、すぐにみ言を聴くには至りませんでした。

 その翌年、沖縄国体が開かれた一九八七年のことです。四月頃だったと思うのですが、熊本で久保木修己会長(当時)の講演会がありました。夫は卓球で沖縄県の代表選手に選ばれ、仕事の休みを頂いて合宿をしていました。講演会の日はちょうど練習が休みで、夫はそこに参加したのです。それは時事問題をはじめ、世界に目を開かせるような壮年向けの内容でした。そのメッセージに夫はスパークしたのです。

 帰ってくるなり、「こんないい話を何でもっと早く聴かせなかったんだ」と憤慨していました。それから夫は流れるように勉強して、入会してくれました。

 私たち夫婦はコーヒーが大好きで、寝る前に二人で飲むのが楽しみの一つでした。でも私は導かれてすぐ、「祝福を受けるまでは」とコーヒー断ちを決意したのです。夫は私が急にコーヒーをやめたので不思議に思っていたようです。

 一九九二年に既成祝福を受けたその夜、ソウルの宿泊先のホテルのレストランで六年ぶりにコーヒーを頂いたとき、夫が「ようやくおまえにコーヒーを飲ませてやることができた」としみじみ言ってくれました。

 息子は高校に入ってから本格的に「原理」を学び始め、この道を行く決意を固めてくれました。琉球大学を出て、今は教育関係の仕事に就いています。もともと夫に似て穏やかな性格ですが、そこにみ言の力が加わっているせいか、職場でも信頼されているようです。

 息子は二〇〇三年に四億双の祝福を受け、妻の直子さんとの間に娘が生まれました。おなかにはもう一人授かっています。この道に入った大きな動機の一つが「長男を立てる」ことだったので、その願いが成就し、さらに三世代同居の夢もかない、本当に毎日が幸せです。

 そのほか親族では、姪(兄の娘)が三万双で、夫の妹が三十六万双でそれぞれ祝福を受けています。両家で一人ずつ立ってくれたので、氏族伝道の道が開かれました。

 現在、祝福を受けた霊の子は二十四人います。そのほか、祝福に向けて準備している人は十人、再復帰対象者は約三十人です。対象者の中にはすぐに伝道される人もいれば、十年、二十年、三十年かかる人もいます。途中で来なくなったとしても、私はあまり苦にしません。

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神様の通過体となって氏族を天国に導きたい

 十年ほど前のこと、肺炎で入院したことがありました。そのときに隣のベッドにいた婦人(当時四十歳)を伝道しました。み言を直接語ったわけではないのですが、大会や講演会に誘うと、たとえ熱があっても参加してくれました。彼女は、「砂川さんに特別に何かがあるわけではないんだけど、でも言うことを聞かないといけないという思いになるのよね」と不思議がっていました。私が「私たちは偶然に出会ったのではないのよ。神様が、ご先祖様が出会わせてくれたのよ」と言うと、「私もそう思う」と言っていました。

 彼女は途中ブランクがありましたが、一年ほど前から再度、本格的に勉強を始めて、今祝福に向けて頑張っています。  

 一九九二年に訪問伝道で出会った婦人は私と同い年で、その三年前に夫を亡くした未亡人でした。玄関先で一時間、立ち話をしたのですが、そのとき私は「ご主人さんが必死なんだな」と直感したのです。それで最初から「私はご主人さんに頼まれて、あなたに話をしているんですよ」と言い続けました。

 彼女は霊界がなかなか分からず、いつも笑いながら聞いていました。それでも諦めずに交流を続け、ついに二〇一一年に霊肉界祝福を受けることができたのです。実に二十年かかったことになります。彼女は「砂川さんの言っていたことが現実になった」と驚いていました。その後彼女は、自分の両親にも祝福を受けさせました。

 私はしつこいのです。神様も六千年間、しつこかったのですから、私も諦めるわけにはいきません。「十年、二十年、三十年かかっても、いつかは必ず伝道する!」、これが私の伝道姿勢です。

 伝道対象者をリストアップするときには、その人の背後の先祖の気持ちがひしひしと伝わってきます。自分の子孫の名前がそこにあることを、先祖の皆さんはどれほどの期待を込めて見詰めているかと思うと、一人たりともおろそかにできません。

 真のお父様が聖和されたとき、もう生きてお会いすることはできないのだと打ちひしがれました。しかし、「お父様に会いたかったら『原理講論』を読みなさい」というみ言を思い出し、訓読に力を入れるようになりました。そして、み言がお父様なんだ、お父様が私に残してくださった財産が訓読の伝統なんだとひしひしと感じ、寂しい気持ちは遠のいていきました。

 子女としての責任分担は氏族伝道だと思います。その勝利のために、原理本体論を学び、訓読することを通して、まず自己伝道をしていきたいと思っています。そうすることで、私自身が神様の通過体となり、氏族を天国に連れて行くことができるのだと思うのです。

 今は二〇二〇年までに百二十人伝道を決意しています。そこに人生の目標を置いて、頑張っていきたいと思います。


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Category: 特集