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インタビュー:「お母様のおそばで侍ってみてとても温かいものを感じました」
真のお母様は三月五日から十二日まで、五年ぶりに日本を訪問されました。その間、真のお母様ご一行と行動を共にした方相逸(パンサンイ繚ス)・対外協力局長にインタビューしました。 (文責・編集部)
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── 今回、真のお母様の日本巡回中、方局長は、どのような立場でいらしたのでしょうか?
私は韓国からのお母様ご一行の願いを日本の責任者に伝える立場でした。直接、お父様やお母様からたくさんの願いを受けますから、それを藤原秀敏総務局長や梶栗正義室長に伝えました。その内容を反映させて巡回が進められていきました。
お母様の秘書である鄭元周(チョンウォンジュ)補佐官と毎日話しながら、お母様のお考えなどを伺いました。
── お母様のお近くで八日間侍られて、印象的だったのはどのようなことでしょうか?
私たちの教会では、真のお父様やお母様がとても高いところにいらっしゃり、心情的に遠いおかただと感じやすいのですが、お母様のお近くで侍ってみて、とても温かく、近いものを感じました。私の肩を軽くポンとたたきながら、わが子に対するように「元気なの?」とか、「今、どこにいるの?」と、ものすごく優しい言葉で声をかけてくださるのです。
羽田空港でお迎えしたとき、エレベーターに乗って私の顔をごらんになったお母様は「今回の全ての責任者はあなたなの?」とおっしゃいました。
「お母様、そうではありません」と申し上げると、宋榮ソプ・全国祝福家庭総連合会総会長が、「今回、お母様のご滞在中、万事うまく運ぶよう、お母様のために準備した者です」と紹介してくださいました。どんなにうれしかったことでしょうか。
宋榮ソプ総会長は、いつも徹底して真のご家庭のかたがたを喜ばせ、侍る姿勢を持っておられるかたです。そしてまた、日本の全ての摂理の完全勝利を目指し、具体的な信仰指導をしてくださいます。
ですから、宋榮ソプ総会長のおそばで働く者たちにとっては大変厳しい場合もあります。ですが、その背後には、いつも父親としての愛情を持っておられることを実感することが多いのです。
そのかたが今回こういう大役を私に任せてくださったのですから、それだけでも本当に光栄なことであり、必ず期待に沿うように頑張らなくてはならないと、身の引き締まるような思いでもありました。
── 方局長は、お母様の前で証しをされたと伺いましたが。
証しをしたのは、九州大会が行われる日(三月八日)の朝食の時間でした。その場にいたのは、お母様と文善進様・朴仁渉様ご夫妻、孝進様の令夫人・崔妍娥様、大母様、宋榮ソプ総会長、小山田秀生先生、朱鎭台(チュジンテ) 第十二地区長、そして私でした。食事をしながら、いろいろな話を交わす中で、急に、お母様が私に「証しをしてみなさい」とおっしゃったのです。
私が、既成教会から統一教会に伝道されたときのエピソードをお話しすると、お母様は「おお、そうなの、そうなの」と大変喜んでくださいました。この朝食の時間は私のためにあったのではないかと思うほど、私にとって最高に感動的な時が与えられたのです。
私たちには、お父様のおそばに行くと怖いというイメージがあります。み言どおりに生きていない、何も実践できていないという負債感があります。しかし、本当の親ならば、子供にいろいろな問題があっても、子供の面倒を見るでしょう。
ですから、お母様の横にいるときには、「私は何もない者だけれども、悪くても何でも、きっとお母様は理解してくださるだろう」と思い、率直に話をしました。あるがままの私でいようと思い、証しをしたのです。
そして、私たちは「真の父母様」と言えば、とても高い所にいらっしゃるように感じるのですが、心情的には「隣にいらっしゃる自分の親である」といつも考えなければならないと悟ったのです。
九州大会では、ある他宗教のかたが二千羽の折り鶴を持ってきました。鶴は二千羽であり、十二地区のかたでしたから、二千羽と十二地区と合わせて二〇一二となります。今年は二〇一二年ですから、何か、象徴的な意味を感じました。
名古屋から飛行機に乗って、北海道に向かうとき、お母様ご一行は四十人だったのですが、機内でお母様は、「近くに座りなさい」と私を呼んでくださり、善進様と仁渉様の隣に座らせてくださいました。
── お母様は、訓読会や晩ばん餐さん会、大会以外ではどのようなごようすだったのでしょうか?
大会が終わってホテルに戻られてもお一人ではなく、食事をするときもお一人ではないので、とても神経を使われるわけですよね。宋総会長や小山田先生、大母様と会議をされます。休みなくずっと、会議をしているようなものですから、お疲れだったと思います。しかし、お母様はいつも本当に美しい笑顔でした。女性はみんなそのような笑顔を持っているといいなと思いますね。(笑)
北海道に着いたとき、一度だけお叱りになりました。お母様が外に出られたとき、鄭元周補佐官に「コートを持ってきなさい」とおっしゃったのです。ところが、韓国からそのコートを持ってこなかったようでした。それで、お母様が一瞬ですが、鄭元周補佐官を怒られました。お母様は、大会を前に体調管理を徹底しておられたのです。
その瞬間、私は自分がミスを犯したように感じ、徹底してお母様のために準備しなければならないと悟りました。
お母様は「できれば食口たちと共に行動したい」というご心情をとても強くお持ちでした。特に今回、五年ぶりに来られましたから、「食口のために何かしてあげたい」「この愛する子供たちに、日本のために頑張ってほしい」というお気持ちを、語られる一言一言から感じました。
食口の顔を見ながら、お母様ご自身も復興しておられたようです。やはり、日本の食口たちは純粋で素晴らしいのだなと思いました。お母様がどこに行かれても、大歓迎しますから、韓国と雰囲気が近かったようです。
五、六年前に東京、大阪で三回、四回とお母様をお迎えしたことがありますけれども、その時とは少し雰囲気が違いました。以前は、お母様は本当に元気があるというイメージでしたけれども、今回は本当に「お母さん!」というやわらかい感じでした。古希をお迎えになったばかりですから、自分のお母さんのような温かい雰囲気を感じたのです。
── 今回は善進様ご夫妻が同行しておられましたね。
今回、善進様がおられなかったとしたら、大会がどんなに立派なものであったとしても、完全に成功したとは言えなかったでしょう。たとえ、小さな大会であったとしてもお母様が喜んでおられたら、大会は勝利と言えるのです。
善進様は、お母様のおそばにくっついておられ、ものすごくお母様を賛美されるのです。「お母様、きょうのこの服は、とってもお似合いです」「この洋服はお母様のお顔にぴったり」「お母様、きょうの大会はとっても素晴らしかった」と。
私には、毎回、言葉は同じでも、善進様がおっしゃると全然違うように感じられるのです。やはり、直系の子女様ですから、お嫁さんともまた違いました。
私は今まで、自分の母に対して、これほど賛美したことがありません。ですから、反省しました。善進様は服の色からデザインから全てチェックされるのです。お母様に「きょうのお母様、これは素晴らしいです!」とおっしゃるので、お母様は「そう、これがいい?」というように満面の笑みでお答えになるわけです。お母様と善進様が会話される場面は本当に美しかったのです。
善進様は朝から夜お休みになるまで、ひよこのようにお母さんのそばにずっとくっついて歩いておられるのです。終始一貫同じです。お母様は、とても喜んでいらっしゃいました。
大会の雰囲気やメッセージを語ってくださるときも素晴らしかったのですが、善進様がお母様に侍られる姿勢が今回の大会の一番大きな成功のポイントだったと思います。
善進様のそばにおられるご主人の仁渉様は、善進様の小さなバッグまで全ての荷物を持っておられました。仁渉様が服も鞄も全部、持っていかれるのです。仁渉様から「妻を守る」ということを学びました。
最後に東京に着いて、荷物を受け取ったときに、私は善進様に、「今回の大会が大成功したのは、善進様のおかげです」と申し上げました。すると、笑いながら「そうですか」と言ってくださったのです。そのとき、仁渉様はすぐ隣で、「そうですよ。そうですよ。善進様が一番の功労者ですよ」とすごく賛美されるのです。
善進様がお母様に侍る姿勢は、文亨進様がお父様に侍る姿勢と全く同じです。亨進様が女性になったのが善進様です。同じようにされるのです。「善進様を拝見していると、亨進様を見ているようです」とお伝えすると、仁渉様が「そうですよ。家の中の雰囲気をつくるのはこの善進様なんです」と言われました。
私は仁渉様のお姿を拝見しながら、自分の妻を賛美しなければならないと思いました。あれが本当の夫婦の姿ではないかと思いました。とても美しかったのです。
── 今回は大母様も共に巡回しておられましたね。
大母様には、朝起きてお会いしたとき、「東京はいかがですか?」とお尋ねしました。全ての場所で朝、「ここはいかがですか?」などを大母様に伺うわけです。
そうすると、大母様は「私は、全然眠れなかったのですよ」とおっしゃるのです。大母様はベッドに入って寝ていらっしゃらないのです。毛布を少しめくってベッドにもたれるくらいだったということでした。
私は大会が終わると、翌日の大会の段取りをしてから夜十二時か一時になったら寝ていました。朝三時には起きなければならないわけですから、「あと何時間しか寝ることができない」と考えるわけです。でも、大母様は、「私は、きのうも全然眠れなかったんですよ。今まで一か所もベッドにしっかり入って寝たことがありません」と言われるのです。
大母様は、お母様が大会を無事に終えられるように、その地域の悪霊など全部を整理しないと大変だとおっしゃって、一睡もおできにならないのです。
私は審判とはどういうことなのかが分かりました。大母様から、「私は眠れなかったんですよ。お母様の大会のために一生懸命、精誠を尽くしました」とお聞きしたとき、「はあー」とまさしく審判とはこういうことなんだと自動的に悟ったのです。「ああ、そうだったんですか。申し訳ありません」と自然に頭が下がりました。
お父様と私たちを比べてみると、お父様は夜休まれずに一生懸命に条件を立てていらっしゃいます。我々は、ゆっくり寝ます。寝ることだけでも自動的に審判を受けるのです。今回、大母様を通して、もう一度確認できました。
それからは大母様に何も申し上げることができませんでした。「大母様、お早うございます」の一言だけでした。
大母様は、もともと三月十日に韓国の全羅南道の光州で大きな集会をなさらなければならなかったのです。朝、食事の場でそのことをお母様にご報告すると、お母様は「大母様は帰ったらいけません。最後まで私と行きましょう」と一言おっしゃいました。大母様は「分かりました。お母様と最後まで行きます」とお答えになりました。大母様も、お母様に報告して、韓国に行くことはできたのです。
しかし、お母様が「一緒に回ろう」と一言おっしゃったら、そのまま「はい、分かりました」と、自分の立場から言い訳をせず、お母様が一言おっしゃったそのままを守られました。「絶対信仰」というのは、こういうことなのだなと感じました。
このような姿勢を持っていらっしゃるから、清平の中心者になっていらっしゃるのだと思いました。私は、今回、短い時間でしたが、大母様の魅力と姿に大きく感動しました。
そして、今回、お母様を感動させたのは梶栗玄太郎会長でした。梶栗会長は、病気でいつ倒れてもおかしくないという状況であるにもかかわらず、最初から最後まで同行されました。
善進様と大母様から学んだ姿に負けないくらい、梶栗会長の精神は本当に素晴らしいと思いました。私には、梶栗会長のお姿が日本の統一教会の姿と重なって見えました。最後まで摂理に、そして真の父母様についていくのです。
三か所は、秘書の竹内啓晃さんが車椅子を押していましたが、四日目の大会から竹内さんが司会者になりました。それで、梶栗会長の長男である梶栗正義室長の夫人、本子さんが梶栗会長の車椅子を押すことになったのです。それをお母様がごらんになって、その姿に感動されました。嫁が、舅に侍り車椅子を押す姿、それが真なる家庭の姿ではないかとお思いになったのです。
九州大会は、舞台に上がるとき階段がありました。梶栗会長は階段を上るのが大変なので、装置を持ってきて上がられました。そこまでして使命を全うされる精神はすごいものです。正に日本の姿と同じだなと思いました。
── お母様は大会会場以外、どこかに立ち寄られましたか?
今回は札幌だけでした。それ以外は時間がなくて出ることができませんでした。最初、札幌に着いたとき、すぐにラーメンを食べに行かれました。普通のラーメン屋に行ってラーメンを食べたときには、心がオープンになり、真のお母様とも何でも話ができる雰囲気になりました。それはとても良かったです。
── 今回、お母様がお父様と通話されることはあったのですか?
毎回、大会が終わった後、移動する車の中でお父様と通話されたようです。私は車が違いましたから、そのお姿は拝見できませんでした。
大会でお母様のスピーチが始まると、お父様のいらっしゃる場所でもインターネットでごらんになれるようにしていました。大会中、お母様のスピーチをお父様はじっとごらんになり、その後、移動しながら車の中で会話されたと伺っています。
── 八日間、本当にお疲れさまでした。
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