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【TOPIC】民族のルーツを訪ね、祖国統一を誓う
九月三十日から十月三日まで、全国の在日同胞を中心に百四十四人が参加し、プリチャッキ(ルーツ探し)のための訪韓ツアー(主催・平和統一聯合)が行われました。同行した金源植事務総長(南北統一局長)のリポートです。
復帰摂理を担当する私たちの意識に変化をもたらすためには「空間の移動」が必要であると、常日頃から考えていました。出エジプトをしたイスラエル民族がカナンの地に復帰したように、在日同胞も祖国の地を踏み、先祖を訪ね、郷愁を感じることが重要だという考えから、今回のツアーを企画しました。
これを通じて、在日同胞の皆さんは祖国の歴史を再解釈する良い機会となり、また日本人の参加者にとっても「近くて遠い国」韓国をいま一度考え直す契機となったことと思います。
ポムネッコルの「涙岩」で新たに生み変えられて出発
初日は、釜山経由と仁川経由の二チームが、宿泊場所の全羅南道和順郡で合流しました。
私を含む釜山経由のチームは、午後四時三十分に金海空港に到着。その足で市内のポムネッコル聖地「涙岩」に向かいました。道中、バスの車窓から市内を眺めながら、釜山の近代史に想いを巡らせました。
釜山は6・25韓国動乱当時、ソ連軍が第一に軍事的拠点として掌握しようと狙いを定めていた場所です。ソ連は、国内の港が低温により凍結してしまうため、太平洋につながる軍港を必要としていました。釜山港を掌握すれば、日本をはじめとする太平洋圏が自国の影響圏となるため、大変重要なポイントであったのです。
「涙岩」で祈祷をささげた後に、金管理所長の説明を聞きました。真のお父様が金元弼先生(二〇一〇年昇華)と共に避難してこられた当時の釜山の状況、開拓伝道や『原理原本』執筆にまつわる逸話を事細かに聞くことができました。
お父様が釜山の海を眺めて、日本や、さらにその先の世界に想いを馳はせながら人類救援の道を志された当時を思い、全員で聖地から見える大海原を眺めながら祈祷をささげる時間を持ちました。
二〇〇九年七月十四日には、文亨進世界会長がこの聖地を訪問され、真の父母様を象徴する「お父様岩」と「お母様岩」の間で岩に触りながら祈祷されました。文亨進世界会長は祈られた後に立ち上がり、「私は再び生まれました! 再出発いたします!」と叫ばれたそうです。
今回の参加者一同もこの日、在日同胞と共に再び生み変えられ、韓日が一つとなって再出発する契機となりました。
釜山(慶尚道)から蟾津江という川を渡って、次の目的地である和順(全羅道)に向かいました。川一つを隔てて言葉や食事、思想が異なるとのことです。歴史的に新羅と百済が対たい峙じしていた場所です。
日本に「千字文」伝えた王仁博士の出生地を訪問
十月一日は、初めに、高句麗建国を描いた歴史ドラマ「朱蒙」の撮影現場(羅州市)を訪問しました。朴美子理事長と共に記念撮影を行った後、朱蒙を中心とする高句麗の歴史に関する説明をガイドから聞きながら、歴史の一ページに想いを馳せました。
次に、百済時代の王仁博士の出生地を訪問。王仁博士は千六百年前に日本の応神天皇の招請により、陶工や織工などの技術者を連れて来日し、「千字文」や「論語」を伝えて、飛鳥文化を花開かせた学者です。
記念館を巡りながら「千字文」に隠された秘話を垣間見、歴史的に韓日は切っても切れない関係にあるということを知ることができました。参加者たちは歴史の潮流に触れ、今後、韓国と日本がアジアの平和のために一つにならなければならないことを深く胸に刻みました。
文巖聖地で南平文氏の始祖の逸話に感銘
昼食を済ませ、いよいよツアーのメーンである南平文氏の祭閣を訪問しました。そこではパラグアイ国家的メシヤである文平來会長が一行を迎えてくださり、始祖「文多省」公の逸話に関する説明を受けました。その逸話を要約すると次のとおりです。
「ある日、当時の君主が、ある岩の下で遊んでいると、その岩の上から赤子の泣き声が聞こえてきた。不思議に思い、岩に登ってみると、『岩の函』の中で赤子が泣いているのを発見した。赤子は君主の養子となるが、ここで特異なことは、当時の君主の姓を継承せず『文』氏を名乗ったという点である。文学や軍略にたけ、また幼い頃からこの世のさまざまな事物に対し、自ら悟る才能に恵まれ、君主から『多くを知る者』という意味の『多省』という名前を下賜されたという」
岩の大きさは、高さ六メートル、幅五メートルほどです。後方から見ると、地表から一メートルほどが顔を出しているようにも見えます。この「文巖」に刻まれた伝説は、韓国に古くから伝わる説話として、国民に広く知られています。
多省公の字あざなは「明遠」で、「遠くを明白に見通す能力がある」という意味だそうです。正に真のお父様のことです。また号の「三光」は三つの光、すなわち「太陽と月と星のように光り輝いた人」という意味です。真のお父様の「鮮明」という名前にも、魚(海)+羊(陸)=地球星、日(太陽)、月という三つの光を見いだすことができます。
参加者は、平和統一聯合の会員のほか、韓国語教室に通う生徒、自分のルーツに関心のある在日同胞のゲスト、そして統一教会員です。さまざまな境遇の人々が集ったツアーでしたが、皆一様に文巖の説明を聞きながら、「人はどこから来て、何のために生き、どこへ行くのか」に関して深く考える時間を共有することができました。
「忠壯路祝祭」に参加し光州事件の傷跡を追悼
南平の訪問を終え、一行は一路、光州(全羅南道)へと向かいました。光州市主催の「忠壯路祝祭」に参加するためです。一九八〇年五月十八日に起こった光州事件(民主化運動)の痛みを追悼するためのフェスティバルです。
それぞれの民族衣装をまとった世界中からの参加者に交じって、私たちは日本から持参したはっぴをはおり、手には鳴子を持って「ソーラン! ソーラン!」「ドッコイショ! ドッコイショ!」という声を上げてソーラン節を踊りながら、一・三キロメートルをパレードしました。
私たちがそうであったように、光州市民たちもこのフェスティバルを通じて「歴史の痛み」を昇華させ、愛と赦ゆるし、そして和合と統一を念願していたのかもしれません。
このツアーには、民団系と朝鮮総連系の双方の在日同胞が参加していました。民団は朝鮮総連を、朝鮮総連は民団を自分たち以上に愛し、民族の和合を成就させ、さらには統一の糸口を探し出そうという趣旨で結成されたのが「平和統一聯合」です。このような精神を持った参加者が集まったことを知ってか知らずか、光州のメディアは今回の我々の訪問に多大な関心を示しました。
王室を背景に多くの功績を残した清州韓氏
参加者たちは李夢龍と春香の逸話を聞きながら、現代社会の男女の在り方について深く考え、良き教訓を得る機会となりました。二人の愛が成就したという「烏鵲橋」という橋の架かった池にまつわる愛の逸話を聞き、歴史の中の主人公となった参加者たちは、真の愛のあふれる世界が成就する日を夢みながら橋を渡りました。
最終日は、釜山経由で日本に帰国するチームと、忠清北道の清州韓氏の祭閣を訪問し、仁川経由で帰国するチームに分かれて移動しました。
清州韓氏は国内の居住者が六十四万人で、全国民の一・三パーセントほどの少数姓氏です。清州韓氏の始祖は韓蘭と言い、高麗と朝鮮前半期に隆盛し、王室を背景に多くの功績を残した姓氏でもあります。
このような歴史的背景のもと、近代になって韓昇洙(経済学者)、韓明淑(社会運動家)、そして韓悳洙(政治家)という三人もの国務総理を輩出しました。このような事実を見るときに、真のお母様が清州韓氏からお生まれになったということも必然であったと言わざるをえません。
同じ血筋であることを知る時初めて和合と統一が可能に
今回のツアーを、主に在日同胞のかたがたと共に行うことができたことは、私個人としても生涯にわたり忘れることのできない出来事になりました。また、参加された在日同胞のかたがたにおいても、在日同胞を愛される真の父母様がお生まれになった「根っこ(プリ)」を垣間見ることにより、多くのことを考え、感じたことと思います。
今日の「私」という存在は祖先ゆえに存在するのであり、祖先が住んでいた場所を訪ねることで「血は水よりも濃い」という言葉を切実に感じることのできたツアーとなりました。
分断された南北も、慶尚道と全羅道も、民団と朝鮮総連も一様に同じ血筋であることを実感する時、初めて「和合と統一」が可能になるのだと思います。在日同胞と一つとなり、一つの祖国を成し遂げるための「プリチャッキ運動」が、今後拡散することを願ってやみません。
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