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証し:娘のように愛してくれる 夫の両親

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ツ黴€栃木教区小山開拓教会で歩む日韓家庭の金ツ黴€ツ黴€奉子(キ繚コ・ボンジャ)さんの証しです。信仰出発から日本に嫁いできて、韓国人婦人として家庭や教会の中で体験してこられた話を伺いました。

金さん家族写真 私が釜山の高校に通っているとき、登校途中の街角にキリスト教会とはあまりにも違う、統一教会の建物が目に入りました。聞いたことのない名前であり、小さく古びた建物なので関心の的でした。こっそり、中をのぞいてみたい気持ちになりましたが勇気が出ませんでした。

 高校二年のお正月のとき、仲良しの友達四人で遊んでいると、そこに新しく引っ越してきたという若い夫婦が、私たちを見て挨拶してきました。その若い夫婦は私たちの輪に加わって楽しい話をしてくれたのです。

そして、夕方になったとき「きょうは水曜日だから、一緒に礼拝をささげに行きましょう」と言うのです。言われるまま、その夫婦についていくと、なんといつも気になっていたあの統一教会でした。

 教会に入った瞬間、「あら、なぜこんなに狭いんだろう?」「まあ、なぜ十字架がないんだろう?」と気になることが増えました。

 その夫婦のご主人は、釜山教会の新しい教会長でした。その教会長は、私たちに総序の講義をしてくれましたが、私の記憶に残ったのは、「三代が共に暮らさなければならない」という内容だけでした。しかし、このみ言が私を教会に引き留めるきっかけとなったのです。

 当時、食口はあまり多くありませんでした。幼い私を食口のかたがたは、どれほど愛してくれたか分かりません。ここを離れたくないと思ったほどです。そうして熱心に教会に通うようになりました。

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 私が二十一歳の頃、六五〇〇双の祝福がありました。私はその祝福を受けるため、会社を辞めて原理修練会や祝福対象者のための教育を受けたのですが、年齢が若いということで、最終的に教区長の推せんをもらうことができませんでした。結局、約婚されなかった私は、辞めた会社に再就職して信仰生活を続けたのです。

 その後、ソウルにいる霊の親から連絡が入り、ソウルの教区で献身的生活をするようになりました。三か月で六キロ体重が落ち、信仰を続けることの大変さを知りました。何度も辞めようと駅まで行き、終電の時間になったら戻ってくるという生活の毎日でした。

 そんなある日、教会のお姉さんから「ここで逃げたら、もっと大きな山(試練)が出てきますよ」と言われ、その場に力なく座り込んでしまったのを覚えています。こうして教区と勝共連合、そして南北統一連合の事務所で三年四か月の間、献身的に働き、三万双の祝福を受けました。

ツ黴€

三万双の祝福と試練

 一九九二年の三万双の祝福を受ける年に、父が癌で他界しました。約婚が決まった頃には、元気だった祖母が突然、亡くなりました。さらには、日本に行く前に伝道を頑張ろうと機動隊に入り、任地期間を終えてこれから家庭を出発しようというとき、母が交通事故で他界したのです。韓国の家族を失い心細い中、予定を早めて日本の夫のもとに出発したのです。

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 一九九五年十二月の冬、栃木県の夫の実家で同居生活が始まりました。

 栃木の冬は、オンドルに慣れた私の背中に冷たい風がしみとおり、韓国のように夫婦が一つの布団に寝るわけでもなく、一層、寒さが応えました。

 食卓に上る食事は、お菓子かと思うくらい甘ったるく、唯一食べられるものと言ったら、みそ汁でした。初めて食べるサーモン、まぐろ、ぶりの刺し身の生臭ささや、「なぜ夕方に毎日、風呂に入らなければならないのか?」など、韓国とは違う食事、生活に気が遠くなるようでした。

 言葉はというと、私はひらがなとカタカナの違いがよく分からず、夫に「パモンドって何?」と聞いたら、「パチンコって読むんだよ」と教えられました。特にカタカナの「チ」が私には難しかったのです。

 また、「行ってきます」と「いただきます」も混同して、ご飯のときに「行ってきます」と言ったら、家族はあっけにとられていました。これではいけないということで、私は日本語学校に通うことになりました。

 その後、子育てが始まると、初めて聞く言葉が出てきました。なぜ小便は「おしっこ」と言うのに、大便は「“お"うんち」にならないのかなど、混乱する言葉がたくさんありました。それで、赤ちゃんと一緒にNHKの幼児番組を見ながら日本語と童謡を学んだのです。

 子育ても一段落ついた頃、小山市の日本語教室に通うことになりました。このときは、日本語を学ぶだけではいけないと思い、韓国文化の素晴らしさと真の父母様を伝えるために、お世話になった先生たち数人を家に招待し、ビビンバなどの韓国料理でもてなしました。

 すると、ビビンバの美しさと韓国の味に魅了され、料理講座とキムチ教室を開いてほしいと頼まれ、一九九七年から教えるようになりました。

 また、小山市では年に一回、インターナショナル・フェスティバルという各国の文化や食事、自慢できるものを展示する催しが行われていることを知り、私も、韓国料理と韓服の着付けを披露するようにしました。最初は夫と子供たちと一緒に準備していましたが、次第にボランティアのかたが手伝ってくれるようになって随分、楽になりました。

 時に子供の通う、小・中学校でも、韓国文化講座やキムチ教室を行っています。別の県や市からも声がかかり、韓国料理および韓国文化講座、そしてキムチ教室を開くようになりました。こうして積極的に活動する中で、昨年、小山市長と国際交流会から、国際文化交流に協力したということで感謝状を頂きました。

 

韓国と日本のしつけの違いを知る

 私は神様と真の父母様の愛によって、素晴らしい夫と夫の両親に出会うことができました。本当に感謝しています。

 両親は、私を実の娘のように愛してくださいます。教会の韓国婦人や食口が家を訪ねてくれば、家中にあるものでテーブルいっぱいにもてなしてくれます。帰るときには、必ず自家製の梅や漬け物、お菓子などをお土産として持たせるのです。本当に、みんな喜んでくれますし、私もうれしいです。

 昔、私は母が料理をするとき、母の味を覚えようとメモに取りながら学んでいました。そんな私の姿を見た母は、これではいけないと思ったらしく、日本語を話すのも、読むのも、書くのもできない私を料理教室に行かせたのです。このときは、ありがたみを感じられませんでしたが、一年半ほど週一回学んだ末、今となっては、大変な助けになっています。私が運転免許証を持っていなかった頃、母は私を車に乗せて、学校や公民館など嫌がらずに、私の足となってどこへでも連れて行ってくれました。

 父は得意のパソコンを使って、韓国料理教室で私が教える韓国料理のレシピをパソコンで作成してくれました。それに子供たちの世話もよくしてくれました。それでも日本に来たばかりの頃は、外国人の嫁ということで不満があったようです。

 そんな父と、子供のしつけの違いで喧嘩したことは、一度や二度ではありません。韓国ではその都度、指摘して和合を図るのですが、日本のただ見ているやり方に、私は耐えられず、意見がぶつかりました。あるとき父に「韓国の和合とはこういうものです」と説明したところ、理解してくださったのか、それ以来、ぶつかることもなく、お互いに努力するようになりました。

 ある日、母に「病人のように体がだるいんですが、どうしてでしょう」と尋ねたら、「あなたはなぜ、そんなにいつも緊張しているの?」と言われたことがあります。それまで私は、緊張しているとも感じずに生活していたことに気づかされました。夫の両親との生活と思うと気が抜けず、家庭の料理の味を早く覚えようと必死でもありました。そんな私を母は分かっていたのです。今では緊張もなく、夜の祈祷会や集会にも堂々と出掛けるようになりました。教会の中で韓国の文化、伝統を伝えたい

 私は、家から十分ほどの小山開拓教会に所属しています。最初は韓国との違いに戸惑うこともありましたが、教会長から「奉仕活動をしたらよい」と言われ、週に一度の保育から始めました。

 初めて「真の神の日」を迎えようとしたとき、教会長から名節の食事を頼まれ、韓日・日韓家庭とコンゴ家庭の婦人たちが中心となって準備しました。この教会には韓国婦人は私一人しかいません。ですから、日本の食口たちは韓国の名節の食事を知りません。食べたこともない韓国料理を見て、とても感動してくれました。また、当時は式服を着るようになっていましたが、食口たちは式服を着ていませんでした。そのため次の名節からは、式服の着付けを教えるようにしたのです。

 教会には韓国人男性は七人います。時には彼らの話を聞いてあげたり、その夫人には韓国の伝統や風習、そして韓国の男性たちの性格について話したり、さまざまな相談に乗ったりもしています。そんなとき、なぜ韓国婦人が必要なのかを感じました。

ツ黴€

日本人以上に働いて日本を愛したい!

 いまだに私たちの家庭が統一教会で祝福を受けたことも知らない親戚が大半です。時には「私たちは祝福を受けました」と言いたくなるときがありましたが、母は私たちの家庭を守ろうとするあまり「まだ言ってはいけない。親戚はまだあなたを信頼していないので統一教会と言えば宇宙人のような扱いをされる」と言ったことがあります。

 私が自叙伝『平和を愛する世界人として』を近い親戚と母の知人に送ったとき、母に見つかり、ひどく叱られたことがあります。

 でも私は、諦めません。親戚の家を訪問すれば、絶対に座っておもてなしを受けません。すぐに台所に入って手伝い、ときには台所の掃除や整理・整頓をして喜んでもらいます。母の実家は大きな果樹園を営んでいるため、「台所や家の中が大変だ」と聞けば、母に相談もなく実家に行き、庭園の整理、台所の換気扇や掃除をして、親戚の信頼を得る努力をしています。

こうして日本の嫁よりも数倍仕事をし、日本人より休まず動き回りながら、日本を愛したい心情でいっぱいです。

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 昨年、「順天家(じゅんてんや) 」(キムチの店)をオープンしました。オープンに当たり、精誠をささげるため、教会の七十キロの行軍に三回参加しました。現在、一周年を迎え常連客もでき、在日同胞の知り合いも増えました。お店の中では日本人が韓国語を一生懸命に学び、また韓国料理も一緒に食べながら、交友関係が広がっています。時にはここがキムチの店なのか、韓国語教室なのか分からなくなるほどです。

 私が日本に来て十六年がたちました。伝道されたばかりの頃聞いた「三代が共に暮らす家庭」を心に刻み教会に来ましたが、日本に来て夫の両親と共に生活できることが感謝です。理想家庭にはまだまだですが、天が願う家庭となるように、きょうもまた努力し、最善を尽くしてまいります。アージュ! 


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Category: 特集