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統一教会員が優良母子家庭賞を受賞

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大阪府門真市在住の統一教会員、徐福任さん(日韓家庭、47歳)は、四月二十二日に門真市の母子寡婦福祉会から優良母子家庭として表彰されました。徐さんのご主人は一九九五年五月、わずか一年十か月の家庭生活を経て聖和しました。以来、女手一つでご主人の両親と子供二人の面倒を見ながら、家計を支えてきました。

以下は、今回の表彰に至るまでの証しを徐福任さんご自身が日本語で書かれたものです。

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「これまでの生活を慰労し、 称えたい」と推薦してくださる

きっかけは、私が所属する母子寡婦福祉会の地域担当者が「外国から日本に嫁いで間もなく、夫を亡くし、幼い子供二人を抱えながらご主人の両親の面倒を熱心に見てきたことに対して、これまでの生活を慰労し称たい」と、私を推薦してくださって決まったのです。

四月二十二日の表彰式には門真市長をはじめ、門真市出身の大阪府議会議員や市役所関係者も参席する中、自分の体験を述べる貴重な時間を与えていただきました。与えられた時間はたったの一、二分でした。そのため何日も前から精誠を込めて、どのように何の話をしようかと、祈るような気持ちで準備しました。

その結果、参席したかたがたから「とても感動しました。よく頑張りましたね。来賓のかたがたも感心したようすですよ。これからは体に気をつけて、楽しく生きてくださいね」と声を掛けられました。素直にうれしかったです。表彰状をもらえたのもそうですが、私の体験談を通して父母様の思想を少しでも伝えることができたことは何よりもうれしいことでした。

二年前にも、第三回民団文化賞「孝道部門」に自分の体験談を投稿して、優秀賞を頂いたことがあります。でも、今回の表彰は日本の地方自治体が評価してくださったものなので、ご苦労される父母様への小さな慰めになればと思いました。

祝福のとき、「お父様、全てをお任せします」と頭で思えども

私は、もともと大の日本嫌いでした。それなのに一九八八年の六五〇〇双の祝福はほとんどが韓日、日韓カップルでした。私は「お父様、全てをお任せします」と頭では思いながらも、実際は日本人との祝福を避けたくて、知らないうちに列の後ろに後ろにと下がっていました。

お父様はそんな私にかまわず「大学出身者は全員前に出てきなさい」とおっしゃいました。それでしかたなく前に出ると、主人の写真を渡されたのです。

主人は天理教の信仰を持つ家庭の二世として生まれ一人っ子でした。とてもユーモアにあふれる反面、とても独善的かつスパルタ(厳格)そのものの性格でした。とても厳しくていつも私の行動一つ一つをチェックしてはお説教─。それは国際電話でも同じでした。たまに会うと、夜を徹して「原理」について語り合いました。もちろん、喧嘩もいっぱいしました。

主人から一年十か月の訓練期間をいただく

一九九三年七月、私は日本にお嫁に来ました。

日本に来て早々から、厳格な主人は私に「訓練が足りない!」と言って「毎日、家の周りのマンションを一軒一軒訪問するように」と言いました。そんな主人ですが仕事から帰ると、私が訪問したかたがたの名前を聞き、アドバイスしてくれました。日本に来て彼が霊界に行くまでの一年十か月、毎日このような訓練が続きました。

私たち夫婦は、主人の両親と同居しました。

両親は天理教に全てをささげてきたかたなので、先代からもらった家一軒が全財産でした。年金を貰ってはいても、お二人のお小遣い程度です。そのため経済的には非常に苦しかったのです。そのような中で暮らしてきた主人は、「今週は千円で生活してみよう!」と笑いながらよく言っていました。

私たち夫婦は本当に夜遅くまでよく話し合いました。今でも、記憶に残っている主人の言葉は、「中心者はいつも最悪の場合を想定して準備しないといけない。九九・九九九九九…パーセント完成したとしてもサタンは〇・〇〇〇〇〇…一パーセントの隙間から入ってくる。だから謙遜でいないといけないよ」など非常に厳しい言葉ばかりです。主人の言葉一つ一つは、彼が霊界に行った後から今日まで、私の生活指針になっているのです。

今思えば神様は、その後の私の人生をよくご存じで、主人を通してあれほど厳しく訓練してくださったのだと思います。

信じられない、ありえない現実と向き合って

一九九五年五月五日午前十一時、突然、彼が左に倒れて救急車で運ばれました。まさかそれが最期になるとは夢にも思いませんでした。

病院に着くと、すぐに手術を受けましたが、くも膜下出血で既に脳に血が回り昏睡状態のまま八日目に霊界に行ってしまいました。

到底信じられない、ありえない現実の前に私は呆然として、空を仰ぐしかありませんでした。

その後、続いた聖和式や聖和式後の片付けのときは、私が家族や手伝いに来てくださった食口たちの真ん中にぽつんと置かれて、くるくる回りながら頬っぺたを叩かれ続けているような気持ちでした。つまり、自分の周りで何が起きていて、昼なのか夜なのか、何月何日かも分からず、自分が誰だったかも忘れるほど、全てが止まってしまったような状態になったのです。

それでもすぐに現実と向き合わなければいけませんでした。お先真っ暗の中で気がついてみたら、主人の両親と幼い子供二人の保護者になっていたのです。

私は現実に戻り、まず近くのレストランでアルバイトを始めました。いくら韓国で大学を出て世界日報で六年間、記者生活をしていたとしても、ここは日本です。私は幼稚園児よりも日本語が下手で、風習も文化も何もかも分からない「外国人で異邦人」にすぎませんでした。

私は毎日毎日、新聞の見出しを手帳に書き、仕事の合間に同僚たちに見せて読み方を教えてもらいながら日本語を猛勉強しました。夜は教習所に通い、普通自動車の運転免許も取得しました。

朝ご飯を食べたら一歳と二歳の子供二人を自転車の前後に乗せて保育園に預けてからレストランに行き、約九時間立ちっ放しで働いては、また保育園に迎えに行く毎日が続きました。

この生活がいつまで続くのだろうかという不安と、私も主人のように突然死んでしまうかもしれない、そうしたら子供たちはどうなるのだろうというプレッシャーと緊張感、経済的な負担などが重なり毎日、途方に暮れていました。その結果、五年間は胃潰瘍で苦しみました。

「神様、私は日本に帰らなければいけませんか…」

家の中でも大変でした。舅は家のことは構わず、あちこちの天理教を転々としてきたので、経済的なものも社会的な地位も何もなく、自治会のかたがたや兄弟からも信頼の薄いかたでした。

一方、姑はというと弱い体でありながら仕事をして息子を育てました。ですから、姑にとって息子が唯一の希望だったと思います。そんな姑だったので、息子を統一教会や韓国の女にとられたため、死んでしまったと悪く思ったのでしょう。ただでさえ、嫁と姑の関係は難しいというのに、それが日本人の姑と韓国人の嫁ですから言うまでもなく、毎日が戦争でした。

そんな中でも、私の唯一の楽しみは年一回の韓国への里帰りでした。清平に寄ってから行く故郷は唯一の息抜きの場でした。とは言え、故郷に帰ると、緊張が解けたからか、ただ食べて寝ることしかできませんでした。体に力が一つも入らず自分でも、どうにもならない状態になってしまったのです。

楽しい時間はあっという間に過ぎて、日本に戻る前日になると緊張し始めます。その頃から私は「また戻らないといけませんか? 必ず帰らないといけませんか?」と神様に何度も繰り返しお尋ねしました。しかし、空港行きのリムジンバスが終点に着くまで神様に尋ねても返事はなく、「また頑張ってみます」と動かない足を必死で動かしながら、毎回、リムジンバスを降りるしかなかったのです。

そんな中でも私が神様に祈っていたのは、「神様、十年間は家のことを整理します。十年後には摂理と関係のある仕事をさせてください!」という祈りでした。 舅が亡くなった翌年の二〇〇五年、私は在日同胞団体である民団の事務所で働くことになりました。摂理と関係がある仕事に就きたいという祈りがかなったのです。

本音でぶつかり合った姑との思い出

二〇〇九年六月に姑も聖和しました。姑は七歳のとき両親を亡くしています。それからというもの自分の素直な気持ちを上手に表現することができなくなり、人づきあいも苦手になりました。舅を亡くしてからの姑は、だんだん優しい顔に変わり始め、霊界に行くときには、とても素敵な笑顔を見せるようになりました。

昔、姑とこんなことがありました。

主人が聖和して三か月くらい過ぎた頃、私に「子供たちは私たちの戸籍に入れるので、あなたは、どのようにしてもかまわない」と言ってきたのです。

ひたすら一人息子だけを見て生きてきた姑は、その息子が聖和した後、私にこれまでの全ての恨みをぶつけてきたのです。

あるとき、私は姑にこのように話しました。 「孫の愛まで全て受け、嫁の愛がどのようなものかも体験しなければなりません。家庭の平和、家庭の幸福とは、このようなものだ、と分かるときまで、お母さん、絶対に死んではいけません」

そのように私が言うと、姑はとても泣きました。

しかし、姑が変わるのは簡単ではありませんでした。何かがあればいつも、「家を出て行きなさい」と言われました。

「お母さんの面倒を見る人は、私しかいません」と話しても、「絶対にあなたに『見てくれ』とは言わないので出て行きなさい」と言うのです。

そのように言われるたびに、家を出て行くことを何度も考えました。本当に出て行く準備をしたこともあります。

しかし、最初の家出の準備をしたときは、夢に主人が現れました。主人も一緒に引っ越す準備をしているのですが、最後の瞬間、背を向けていた主人が、私を見て「あなた、本当に引っ越さなければならないのですか?」と言ったのです。そのため、引っ越すことができませんでした。

その後も、今度こそは、本当に家を出て行かなければならない、と思ったとき、娘の一言が「お母さん。おじいさんとおばあさんが病気になったとき、誰が面倒を見るの?」というものでした。その言葉を聞いて、再び思い直しました。そのような生活が続きました。

二〇〇一年、姑が目を患い手術をすることになりました。急に目が悪くなったので、私が入院の全ての手続きをしたのです。それから姑は、「出て行きなさい」という話を全くしなくなりました。このときから、「これほどまで変わるのだろうか?」と、思うほど変わったのです。

姑とずっと話をしてみると、自分の兄弟も信じることができなかったことを知りました。

ある日、退院した姑が、また入院することになったとき、病院へ向かう車中で「あなたがいてくれて私は幸せだった。ありがとう!」と思いもかけない言葉をかけてくれたのです。このときは、どれほどうれしかったか分かりません。

姑の聖和式のとき、姑は私のそばに来て何度も「私は幸せだから笑って!」と言っているのが霊的に分かりました。

霊界から励まし続けてくださった真の父母様

過ぎた歳月を振り返ると毎瞬間がすさまじく、涙があふれ出る日々の連続だったと思います。でも、それは決して恨んでいるとか悔しいからではありません。むしろ、その歳月を通して神様が私と共に闘ってくださり励ましてくださったことがたくさんありすぎて、とても感謝しています。

時には大母様が夢に現れ、霊界の主人と通話するようにしてくださったこともありました。舅が霊的に現れて一緒に朝の訓読をしたときもありました。難しい峠を超えて行くたびに「大変だっただろう!」とおっしゃりながら、満面の笑みで励ましてくださる父母様に何度、出会ったことでしょう。大変な状況の中だからこそ感じた愛が大きすぎて、とても幸せな自分であると思っています。

小さかった二人の子供も、すっかり大きくなって上の娘は今年、大学二年生になり、将来は学校の先生を目指しています。下の息子は大学受験に向けて準備しているところです。

現在、私には切実な願いがあります。

来る日、公の場で真の父母様から日韓祝福を受けてきた者として、真の父母様を証しする自分の体験を発表したいと思っているのです。その日を迎えるために、きょうも明日も、父母様と共に歩んで行こうと思います。 ありがとうございました。

※以下、優良母子家庭賞表彰式での謝辞の一部

 私と主人は韓国で出会って結婚致しました。結婚当時、主人と私は「自分たちの子供が日本と韓国の架け橋になったらいいね」とよく話したものです。

 最初は韓国で暮らしていましたが、主人は一人っ子で両親の体が丈夫ではなかったので、親との同居を決めて、十九年前日本にやってきました。ところが、主人は日本に来て二年もしないうちに突然、脳内出血で亡くなってしまったのです。私が三十歳の時でした。

 ……泣いている間もなく、お葬式が終わってすぐに近くのレストランでアルバイトを始めました。……プレッシャーと緊張感、経済的な負担等のため、結局、胃潰瘍になり、五年間苦しみました。言葉や風習の違いから舅、姑ともよくぶつかりました。

 本当に後ろを振り向くと涙あふれる大変な日々の連続でしたが、三年前、姑が亡くなる前に「ありがとう。あなたがいてくれたから私の人生幸せだった」と。思いもかけない姑の言葉は、それまでの苦労を忘れさせてくれる一言でした。

 これまで私はできるだけ「日本の国にお世話にならない」と決めていましたが、結局、日本や日本のかたがたにたくさんお世話になってきました。特に児童扶養手当や医療助成制度にはずいぶん助けられました。本当に感謝しています。……

 これから二人の子供が日本と韓国の架け橋になるのはもちろん、世界で誇らしい活躍ができるよう育てていきたいと思います。


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Category: 特集